「月光条例」における"死"の有無と主人公の成長

藤田和日郎漫画における『死の原則』はどうなる?日々だらくだるくさん)
この記事を読んで思う事があったので、私なりに
「月光条例」における"死"の有無と、それが及ぼす影響について妄想してみました。
(考察とは言い難い内容なので、「妄想」という表現を用いています。)

今週の月光条例に出てきた新たな設定には驚かされました。
日々だらくだるくさんの記事にも書いてあったのですが、もう一度書いておきますね。
"「月打」された「おとぎばなし」の住人が正気に戻れば、
その者のした悪事はなかったことになる。"


藤田作品ファンに限らず、この設定に驚いた方は多いのではないでしょうか。
私はありだな、と思ったのですが皆さんはどう思われましたか?
(「おとぎばなし」が元に戻る=「おとぎばなし」が現実世界に影響を与えるはずがない、
つまり「なかったことになる」のは理に適った設定だと思います。)

一見するとヌルい物語になるようにしか見えないこの設定、
考えれば考えるほど実は深い事に気がつきます。
そして"死"があってもなくても「月光条例」は面白くなるに違いない!!と思えてきます。
せっかくそう思ったので"死"がある場合と"死"がない場合の両方について考えてみました。
正直言って根拠が全くなく、妄想だらけの記事ですが
最後まで読んで頂けると非常に嬉しく思います。



<消滅する世界と守り抜く"覚悟">

先に"死"がある場合について考えてみます。
「現実世界の人間も死んでしまうのか?」
というのが大事な要素なのはわかっているのですが、
ここでは"登場人物が不在のままの「おとぎばなし」はまもなく消滅してしまう"
という設定を重要視して話を進めていきます。
(2話で「おとぎばなし」の消滅についての説明があったといことは、
この先にそういう展開が待ち構えているのはほぼ間違いないでしょう。)

"現実世界の人が死んでしまうのかどうか"という点は非常に気になるところですが
既存の作品とは違った"死"の意味が出てくるのは
「おとぎばなし」のキャラクターに限定した場合だと思えて仕方がないので
現実世界のキャラクターの"死"については触れずに書いています。
(一応、あるものとして読み進めてください。)

今までの藤田作品はのキャラクターの"死"が世界に直接的な影響を与えたか?
と言われると「NO」と答えられると思うのですが、
「月光条例」の場合はそう言えなくなってくるのかもしれないのです。

「おとぎばなし」の世界の住人であるはちかづき姫が消滅の詳細を知っているということは
過去に消滅した前例があったからと見ていいでしょう。
つまり、少なくとも「おとぎばなし」の住人たちは
「おとぎばなし」が消滅したことを忘れないということです。

これが現実世界の人間にも適用されるなら、
「消滅したおとぎ話のこと、時々でいいから、思い出してください。」
となるので救いがあると思えるのですが、
どうも私には「なかったことになる」という言葉が引っ掛かりました。
"その者のした悪事はなかったことになる"というルールがあるなら、
それとは逆の「おとぎばなし」自体が「なかったことになる」ルールがあるのでは?

と思ってしまうんです。(="人間に存在を忘れられてしまう"ってことです。)
もしそうなってしまった場合、
ハッピーエンドで物語が終わったとしても、それは本当にハッピーエンドなのでしょうか?

そして、もしそういう展開になるならば、月光には今までの主人公以上に
"守る覚悟"を強いられるのではないでしょうか。
"一度壊れてしまえば永遠に戻ることのない世界の一部"を守るということは、
"人間を守る"ということとは違った意味を持ってくるのでは?と思ったのがその理由です。
例えば、「もう誰も殺させない」という誓いを立てたとして、
結果的に誰かが殺されてしまったなら「あの時の覚悟は何だったの?」
となってしまうので展開的にも厳しくなってしまうと思うんですよね。
(まぁ、この理屈はこの作品に限った話ではありませんが。)

そういう理由から「おとぎばなし」の消滅によるキャラクターの死は
今まで以上に強い意味を持つと思うのでここに特化して書かせてもらいました。
(といっても、全部私の妄想ですけどw)


<"死"のない物語。それは月光一人の戦い。>

今度は消滅しない場合について考えてみましょう。
ここでは現実世界の人間も含めて「死」が無いと考えたうえで書いています。
(書いているうちにゴチャゴチャしてしまいました。力量不足ですみません)

この記事を書く前に、頭の中で考えた時は
「藤田作品で死なない物語を読まないといけないのかー。」なんて思っていたんですが、
消滅するかしないかは終わってみないとわからないので、これは的外れですね。
なので、ある程度物語が進行するまで誰も死ななかったらどうなっていくのか
ということを拙いながら予想してみました。

"誰も死なない"というのは作品にとってかなりの痛手になるのは間違いないのですが、
この展開も読んでみたい!という気になっています。妄想の果てに、ですがw

"生き返る"のではなく"なかったことになる"という点に注目してみてください。
生き返る作品なら、死の恐怖や怪物の姿が生き返った後に記憶として残りますよね。
(あの世があり、死を認識できる「ドラゴンボール」はいい例だと思います。)
しかし、この作品の場合はそれがありません。
自分が殺されたことどころか、そこで起こったことでさえ"なかったこと"になる、
つまり、現実世界の人々にとっては何気なく過ぎていく日常の中で

月光だけが現実世界と「おとぎばなし」の世界の為に
ただ一人傷つきながら戦わなければならない

と考えた時、"死"という描写がなくても
この物語はとても大きな意味を持ってくるのではないでしょうか。

うしおや鳴海のような自発的に戦いに身を投じる主人公と違って、
月光は"戦わされている"主人公だというのもポイントかと。

ギャグとしてやってる演劇部から月光への脅迫も後々重く響いてきそうな予感がします。
演劇部は「私がそうしたいから」という理由で月光に命をかけた戦いをさせている、
というのがかなり気になっています。私の予想では1年やるかやらないかのうちに、
月光が自分の存在に嫌気がさす、なんて展開がありそうな気がします。
(はちかづき姫の話を読んだ時の反応を見ると、自分から戦いを選びそうでもありますが。)

「自分しか傷つかない」生き方を選べるのかどうか。
月光の成長が主軸に描かれるなら
「誰も死なない」展開もありなんじゃないかな、と思えるのです。


<まとめになってないけど、まとめ>

読んでくださった方はわかると思うのですが、私が言いたいのは、どちらの展開になっても、
月光には今までの主人公以上に成長が望まれているのではないか、ということです。
この物語を藤田先生が描ききった時、
月光は既存のキャラクターをはるかに超える魅力を手にするんじゃないかな
なんて勝手に期待しています。
(そういう意味では「藤田先生めちゃくちゃハードル上げてきたな」とも思います。)
「"死"がどういう扱いになるか」という論点からはズレまくってしまいましたが、
楽しんだもん勝ち!というとこで、私はキャラが死ぬかどうかよりも、
そこから発生していくであろう月光の成長を楽しみに読んでいきたいと思います。

妄想の結果、どっちに転んでも楽しめるのが判明しましたね。(そうか?)
(月光が戦いを放棄した途端に誰かが死ぬ。といった誰でも思いつくものから、
それ以上に残酷な展開も藤田先生なら平気でやりかねない気もしますが。)
たった2話で今後の展開を的中させることは不可能なので、
あんまり気を張らずに読みたいんですけど…次の週が待ちきれなくて妄想が止まりません。

「おとぎばなし」が消滅し、解放されたキャラクターはどうなるのか?
(また、そいつを倒せばどうにかなるのか?)
などなど、気になる点は尽きませんが、それはまたの機会に語るとしましょう。
今回は妄想が多く、見苦しい記事になってしまったので
次回はもうちょっと情報が出そろってから、ちゃんとした"考察"を行いたいと思っています。

たった2話でここまで考えさせられる藤田作品はやっぱり最高ですね。
もしよかったら皆さんの意見もお寄せください。では、今回はこの辺で。


 
 

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