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「HUNTER×HUNTER」 正拳と邪拳

 「HUNTER×HUNTER」で今更気付いたことがあったのでメモ書き程度に残しておきます。
 今までは王とゴンがどこか似ている部分があるんじゃないかということで、この2人の共通点ばかり探していて目が向いていなかったのですが、実は蟻編で対になっていたのはゴンとネテロ会長もそうなんじゃない?という話。

 まずはゴンの能力「ジャジャン拳」について。
シンプルながら、短距離攻撃の「グー」、中距離攻撃の「チョキ」、長距離攻撃の「パー」の3種類に変化可能な応用の効く点は、ビスケ曰く「意外と理にかなっててやられる方はイヤ」だそうです。
そんな「ジャジャン拳」、獲得前にビスケがこう話していました。

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「ジャンケンの語源はその当時の邪拳にあるって説だわさ」

 漢字にするとジャンケンは邪の拳ということらしいです。そういう風に捉えると、確かに拳と言いつつ剣になったり、飛び道具になったりするのは邪といえば邪だなと思えます。

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 と、ここで気付いたのがネテロ会長の「百式観音」は正拳突きがベースだよな、ということです。こっちは九十九まで"掌"があるらしく、(全部描かれてはいませんがおそらく全部観音の掌による攻撃で)正拳突きではないですけど、ちゃんと正当に拳(というか手)を使った攻撃になっているはずです。そう捉えると正しく拳を使っている技という意味では正拳だなと無理やり解釈をして話を続けます。

 ここまで見た後に面白いなと思ったのが2人の奥義について。
 "正"を極めたネテロ会長の奥義は

百式観音零の掌は敵背後から現れし観音が有無を言わさぬ慈愛の掌衣でもって対象を優しく包み込み(中略)ネテロの渾身の全オーラを目も眩む恒星のごとき光弾に変え撃ち放つ無慈悲の咆哮である
(29巻139~143ページより)

 レーザーです。正拳突きを極めた果てに得た能力の最終奥義がレーザーというのが未だによくわからないのですが、この辺は何も考えずに読んでいるので、もっと色々と見ていけば気づける要素がありそうですが、今回は放置して話を進めます。
一応、包み込む動作において掌は使っているものの、攻撃自体は口からのオーラ発射で行われています。掌なのに口、これは邪です。

 一方、"邪"を極めた先にあったゴンの奥義は

20110004.jpg

 得意とする「グー」の正拳です。
邪拳の奥義が正拳で、正拳の奥義は邪拳というのは、狙って対比させているのかなあと思うわけでして。というのも、2人の奥義に関する描写で微妙に被っている部分があったので。

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 この「狂気に身を委ねた」というのは、ゴンもそうなのかなと思うんです。「ピトーを倒せるならどうなってもいい」という狂気によって数年後の姿へと変貌したのは、正拳突きのみに没頭して数年を過ごしたネテロ会長と同じなのかなと。ピトーを倒すために全てを犠牲にして修行し、成長した場合こうなったと仮定すると上手くはまるような気がします。それと、今回の件とは関係ないんですが、一応このシーンがゴンの変貌の裏付けの一部になっていたのかと気付けました。
 この感情が、ゴンは憎悪=負で、ネテロは感謝=正になっていて、ここでも正邪分かれているのがまた面白いなとも。

 というわけで、特にオチはないんですが面白い対比だなと思って更に蟻編が好きになったのでした。

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「お茶にごす。」最終巻 サンデー掲載時よりわかりやすくなってます

 「お茶にごす。」最終巻についてアレコレ 

 タイトルにある通り、コミックスを読み終えて「わかりやすくなってるなー」という印象を受けました。
というのも、読みながら「これはサンデー掲載時と違うな…」というシーンがいくつもありまして、雑誌を引っ張り出して確認してみたところやっぱり色々と違いました。比較して見ていきましょう。

○102服

・夏帆の「なんでアンタはそんなとこにいんのよ!」というモノローグが追加された

ocha11-3.jpg  →→→  ocha11-2.jpg

 これは賛否両論ありそうな気がします。
(夏帆は「無言で」、まークンが部長のことを想うのを(イライラしながら)見ていたわけですし。この辺をそのスタート地点とするなら尚更かなと。)
曲解すると「近くにいたら助けるくせに、どうして距離を置こうとするのか」っていうもどかしさみたいなのもあるのかなということで、アリなのかなと思いましたが、ないならないでも不自然さはないからどっちとも言えません。

・部長のモノローグが完全に差し替えられている

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 丸っきり変わっているということは最重要視するポイントなのかなと思います。
(それこそ、じっくり考えればこれだけで記事が書けそうなくらいに。)
「部長がまークンのことを"立派"」と思っている(「真っ直ぐ」という表現は異性としてどうこうってことじゃないと思います。)というのから、
「誰よりも私を心配してくれたのに…」という風に"私を"と入れることで、部長がまークンの気持ちを知っていて、それを部長がどう受け止めているかというのが変更前よりもかなり伝わりやすくなっているのかなと。
それと、部長の気持ちがわかるのって、何気に初では。


○106服

7:3編は「契約せよ…」とかタマちゃんとチカの反応とか色々変わってましたが、結末には関係ないので飛ばします。

・ヒナが「気づいた」効果が追加されている

ocha11-8.jpg  →→→  ocha11-9.jpg

 「わかりやすくなった」という点においては、このシーンはかなり違う印象を受けました。
影が顔にかかって、この次のコマで彼女は外をふと見やるんですが、何で外を見たの?ってのがわかりやすくなってるんじゃないでしょうか。こういう風にして背景にまで気を配っているのは「西森先生らしい」ですね。
後半はまークンの気持ちがメインになったけど、最後に1回「茶道」の神聖さを描いておきたかったのかなと。そう考えるとヒナちゃんは作品の原点を思い出させてくれるいいキャラだったなーとつくづく思いますね。

○108服

・「部長かと一瞬勘違いした人」とすれ違った後にマーくんの鼓動が追加されている

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 「ここは修正要るの?」というのが正直な気持ちなんですが、掲載当時に某所でも「あのシーンなんなの?」って声がいくつか挙がっていたので妥当なのかな。ってことで、ここもまた「わかりやすさ」を象徴した修正の一部かなと。

 こんな感じで全体的に心理描写が書き足されてわかりやすくなっていたなと。
これってやっぱり、最終回があんな感じで唐突に終わったように見えるから「道士郎に続いて、また打ち切りなの!?」って思った人が多くて(もっというと突撃した人も多そうな…)、「そうじゃないんだよ」ってバックステージで回答をした西森先生が本編でもそれを伝えるために「わかりやすく」したってことなんでしょうね。
(道士郎も別に打ち切りっぽくは見えませんが、まぁ関係ない話なので置いときます)

 言われてみれば部長側からまークンへの気持ちは明かされていなくて、はっきりとした描写が欲しい人には唐突に見えたかもしれないというのはわかりますし。ということで、モノローグ差し替えはそういう人に向けて、西森先生が入れてくれたのかなと。
(「ちょーだい、夕日」で充分だとは思うんですが、それは私の主観なので、足りないと思った人には足りないんでしょう。どこまで描けばいいかってのは難しいですね…)
にしても、この部分が違っただけで作品全体に対する印象もだいぶ変わりますね。私だけかもしれないんですけど、部長側から1つアプローチがあるだけでこんなに変わるのか!と驚いています。

 最終巻の感想でも書ければいいんでしょうけど、最終回記事で言ったように「他人から見てまークンがどう見えるのか」の変化が全てだと思うし、その後に部長とどうなったかというのも表紙と中表紙(でいいんでしたっけ?)でフォローされてますし(久々の表紙描き下ろしはこれまた「最終回なにあれ!?」って人達に向けてのアンサーなんですかね。)、特に考えが変わったとかはないので、あっちで言ったようにこれ以上の終わり方はないし、「お茶にごす。」は素晴らしい作品だという気持ちに変わりはないです。

「打ち切りかも!?」と思った人は西森先生のバックステージを読んでみてください。真相が書いてあります。


 なんか「俺は修正前からわかってたぜ!」みたいな偉そうな記事になってるかもしれませんね。イラっとした方がいたらごめんなさい。

「お茶にごす。」 いい最終回でした! 

2009年7月の更新を修正して再掲したものです

「お茶にごす。」最終回についてアレコレと

○まークンと夏帆

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 まークンの態度を見かねた夏帆は、文字通り背中を押して(+川に突き落として)「優しさ」の何たるかを説きました。「自分に優しくできない奴は、人に優しくなんてできない」と。

 思えば、部長から遠ざかった後のまークンは優しくなろうとして意地になっていたように見えます。
それに、108服では他人からの優しさを断ったり(「船橋さんの力になりたい!」って言ってくれる一般人がいる時点で相当な進歩なのですが、おそらく「優しくされている」ということに、まークンは気づいていない。)、「大丈夫だ。」と自分に言い聞かせて「他人に優しくすれば自分はどうなってもいい」という行動をしていた節もあります。(山田が「慈善事業」と言っていたことから、付き合いきれないレベルまで達していたんでしょうね。)

 負の連鎖を生み出し、部長を危機にさらしたことのある自分が優しくされていいはずがない、という思いがあったであろうまークンは「自分に優しくしてもいい」なんてことは考えたこともなかったのでしょう。
しかし、夏帆の一言で霧が晴れます。自分に優しくしてもいいのだと。「優しい人」であろうとするならば、自分のしたいことをすればいいのだと。
そして、まークンが最も望んでいることは―


○夏帆の成長

 夏帆は当初、まークンを部長に近づけさせまいとしていました。それが最終的には「(部長の傍にいることを他の誰が許さなくても)私は許す。」とまで言ってくれたのは、夏帆の成長の証と見ていいんじゃないでしょうか。ノラとか言ってた頃が懐かしい…(しみじみ)
最後の最後に今までまークンに対して出せなかった本音(例:7巻64服の「アタシはいいと思うよ」)が出せて、それが最大の効果を発揮したというのもいいですね。
(ついでに言うと、口が悪いのもやっと本音で話せたことを意味してるんじゃないかなーと。)

 で、最後の最後でまークンにときめいたかも!?という描写があったのはニクい演出かなと。
(「ウウー」って言って照れてるのは今までの中でもかなり可愛い…!)
ただ、これを引きずらないで(?)チカ達との会話に移行してるので「照れた」だけなのかもしれませんし、だからってこの後好きになることはありえないでしょうけど「そういう可能性もあったかもね」ぐらいに捉えると面白いかもしれません。
最後までフラグを立てそこねたヤーマダに頑張ってほしいですが、どうなるやら。


○ヤーマダ

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 最後の最後でこの男は…
鼻からウドンといい、割とギャグ担当だったんじゃないかと思います。
(先週、ヒナちゃんが言った「ヤーマダさんってお軽いですよね」が物語における彼の立ち位置を物語っているんじゃないだろうか…)

 が、まークンが部長にアタックしてどうなるか?というのを楽しそうに話す女の子達を見て何か思っている真面目な顔のコマがいいですね。(私は、まークンのことを心配してくれる人がたくさんいて嬉しい+きっと上手くいくから頑張れ。だと予想)
それと、まークンの脳内イメージのヤーマダがバカにした後に慰めてくれていたのもいいなと。
部長から身を引いた時に「グッド!」とか言い出した時は「アホかテメー!」と思いましたが、夏帆に後押しをさせる為には仕方なかったんですかね。卒業式でまークンをけしかけたり、最後には泣いてくれたりと心の底では応援していたのがわかったのでよかったです。

 ただ、、夏帆との関係がうやむやだったのは…可哀想?残念?仕方ない?
どれがふさわしいかわかりませんが、(勝算はあると思うけど)連載においてはあんまり進展がなかったので、妄想に頼らざると得ないのが何とも…


○まークンの笑顔

 最終回の一番の見所は実はここなんじゃないかと思っています。
部長に会うために走るまークン。それを見つめる人々は―

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 同じように笑顔です。
 
 と、ここで思い出したのが1服の冒頭。

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 まークンが歩いているだけで人々は恐怖しています。

 ここの対比を西森先生は描きたかったのであり、このシーンこそがまークンが優しい人になれたということを証明してるんじゃないでしょうか。
西森先生は誰かがまークンに直接「君は優しい人だよ」と言うシーンを避けて、他の人がまークンを見てどういう表情をするかという(1服と最終服の対比で)視覚的に「まークンが優しい人になれた」という演出をしたのかなと思いました。
つまり、あえて誰にも「優しい」と言わせることなく、まークンが自然と優しい人になれたということを描きたかったのかなということですね。
この最終回を読むと、「見ればわかる」この演出方法がベストだと思いました。


○まークンと部長

 言葉も画像もいりませんね。部長の笑顔を見れただけで言うことないです…!


○ラストページ

 初見では、最高の見開きをめくった瞬間にラストページが訪れて力が抜けました…
が、何度も読み返すうちに「あれでいいんだ」と思うようになりました。
さっき言ったように、まークンを見る通行人の目が穏やかだったことで「お茶にごす。」は終わっていいと思うんです。だから、その後に部長とまークンが何を話しただとか、どういう関係になったのかとか、そういうのはそれぞれの読者が考えていけばいいのかなと。
(私の予想では、山田のセリフも踏まえて、これから良い関係を築いていくんだと信じています。)

 で、最終コマの掛け軸が気になってググって(ヤフって?)みたところ―

法雄山 常休禅寺さんの2002年5月の今月のお題より引用

 >「開径」は道を切り開くことであるが、「佳賓」待ちかねた良き客のために道を整える意である。
>すなわち、賓客を迎えるために細やかな心配りをすること

>又、心を開かなければ良きことが訪れぬということでもある。


 西森先生はこういう所まで気を配っているから素晴らしい…!

 「待ちかねた良き客」とは部長にとってのまークンなのかな。
(あのポーズは「待ってました」と言わんばかりだったので)
ただ、「心配りをすること」に着目して、まーくんを「良き客」=「優しい人」と捉えるなら、夏帆が心配りをして道を整えてくれる人なのかもしれません。

 下については言うまでもないですね。
夏帆の一押しとまークンの心からの願いが、掛け軸にもなるような格言を体現していたというのはこの上ないラストになったんじゃないでしょうか。当然意識して描いてるでしょうから、西森先生の深さには頭が下がるばかりです。


○扉絵

 なんでここを最後に持ってきたかというと、時系列で考えると一番最後だと思ったからです。
たぶんこれは最終回後日の話で、まークンが夏帆に「まぁ、部長とアンタは釣り合わないけどね」とか冗談半分で毒づかれて青白くなってるのかなと

 ちなみに、タイトルの「雅矢と部長」を見た瞬間にガッツポーズしたのは言うまでもありません。



 そんな感じで、1服の冒頭との対比がなされた時点で「お茶にごす。」で西森先生が描きたかったことは描かれていて、その後の部長とまークンがどうなったか?というのは、極端に言ってしまえばメインテーマじゃないので「ぼかして終了」というのもありかなと思いました。
(本筋は「優しい人になる」であって、部長とくっつけばゴールじゃないですしね。)
まぁ、こんなことが言えるのは最終回に部長が出てきてくれたからなんですけどね

 でも、告白するところも見たかった!と言っている人たちの気持ちもわかります。
なので、100人が読んで全員が納得するラストではなかったというのは否定できないんですけど、こういう余韻たっぷりの終わり方もまたいいんじゃないでしょうか。
私の中では考えうる最高のラストで、「お茶にごす。」は大好きな作品であり続けるに違いありません。西森先生に素敵な作品ありがとうございました!と心から言いたいです。

「お茶にごす。」 新キャラのヒナちゃんをもっと見たかった

2009年7月の更新を修正して再掲したものです

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 まークン達が2年生になったことで1年生の新キャラが登場しました。
それがこの青石日來ちゃんです。
この子のせいで「お茶にごす。」が続くもんだと思い込んでしまったので、終わると知ったときは大層ショックでした…。「部長が卒業した時に確実に終わるな…」と思ったのを、まークンが2年生になったのと、この子が新入部員になったことで綺麗に打ち消してくれたと錯覚させられてしまいましたから。
あと、この子と直接関係ないんだけど、7:3まークンの回が面白すぎて残り数回でやる話じゃない気がしたってのもあります。

 まず感心するのが西森先生の引き出しの多さです。
「今日から俺は!」の理子、京ちゃん「天使な小生意気」のめぐ、美木、、「道士郎でござる」のエリタン、道士郎ママ(←実は西森作品で一番可愛いかもしれない)、そして「お茶にごす。」の部長と夏帆といったように、「女の子の可愛さである程度成り立ってる作品」じゃないにも関わらず西森先生が描く女の子はとにかく魅力的なんです。
そんな彼女たちとはまた違ったタイプで、おおざっぱに分類するなら今まではチョイ役だった「軽い感じの女の子」になるんですかね?

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 今までは主人公のタイプに合わせて「理想の女の子」が出てきてた印象を受けるんですが(エリタンは例外かもしれないんですが、健助の理想っぽいので当てはまらなくもないのかな?)、今回は「まークンの成長を見せる為に」出てきたせいか、それとも「物語における大きな役割」を担っていないせいか真新しい感じを受けました。
1行にまとめると、メインキャラでこんなにぷわぷわしてる子はいなかったよね、ってことです。

 で、まだ(当時)4回しか出てきていないのに、ちゃんと「ヒナちゃんってこんなキャラだよな」って言えることにも西森先生の力を思い知らされます。
ベクトルは違いますが、「今日俺」のフンドシマスクなんかも出番が少ないのに強烈に印象に残ってますから、短期でのキャラ立ての力は抜群だと考えて間違いないでしょう。

hina2.jpg

 あと、可愛いだけじゃなくて今までにいなかった「まークンを普通の男として見てくれてる」ポジションなんだなと読んでいると気づきました。

 言い換えるなら、向こうから積極的に近づいてきてくれると言ってもいいのかな。
夏帆(と智花)は今でこそ割と普通の関係を築いていますが、"最初から"(←ここ大事)まークンを「普通の人」とは思っておらず、茶道部から追い出そうとしていました。
部長は「普通の人」として接しようとしてくれたんですが、外部の情報だったり、まークンの「普通」の感覚がおかしかったりで、やっぱり物語前半ではどこか壁がありました。で、やっと普通の関係を築けそうになったところでまークンの方から距離を置いてしまったので「普通」の関係にはなれなかったという悲しい結果になりましたし…
でも、今週号を読んでもらえばわかるんですけど、ヒナちゃんはまークン(と山田)と肩を並べて歩いてるんですよ。しかも部長たちといた時にしてた話題は「昔はどんな子供でしたか?」とか当たり障りのないものだったのに、ヒナちゃんとは「夏帆さんとどういう関係なんですか?」といったような突っ込んだ話まで出来ているんです。
これはヒナちゃんの性格のおかげでもあるんでしょうけど、1年間茶道に携わることによって(と言うより、部長と出会って自分のことや周りのことをよく考えるようになって)「まークンが優しくなれた」ということをも示しているんでしょう。

 そういう意味では「優しい人になりたい」というまークンの望みの延長にあるであろう「普通の人と普通に接したい」という願望をわかりやすく示してくれているので、「お茶にごす。」の最後を飾る新キャラとしてふさわしいんじゃないでしょうか。

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 ラスト5回しか登場しないという扱いは「勿体ない!もっと見たい!」に尽きます。特に今週は可愛かったですし…!(ということでもう1枚貼っておく)
西森先生のことですから、新作ではまた違ったタイプの女の子が出てくるでしょう。ってことは「ヒナちゃんっぽい」子は出ないかもしれないんです。そう考えると…ホントもったいないです。
なんですが、こんな良キャラを作品のラストのアクセントとして使って終わらせる思い切りのよさは紛れもなく「西森先生らしさ」なんでしょう。
(ついでに言うと印象にも残るんですけどね)

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