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「マテリアル・パズル」 ゼロクロイツで残った謎について考える

謎じゃないことも考えます。

○「真紅虎龍牙」の謎

 クロイツの魔法のうち、何で「真紅虎龍牙」だけ禁断五大魔法に含まれているのか?というのが気になります。
 他のクロイツがどうやって生まれたかは謎だけど、1つ考えられるのは「星のたまごから生まれたクロイツ(および魔法)だから」ということかな。星の力がありったけ込められたものから生まれたとなると、他の魔法と一線を画していても不思議ではありません。
 もう1つ考えられるのは、六大石の力を内在したまま封印されたから=クロイツの力+六大石の力が合わさった状態で封印されているから、というのもありそう。というか、こっちが本命です。
最終話でアップル博士に「ゼクスと共に消えてしまった」とわざわざ語らせている辺り、疑ってよいのではないかなと。
 「彩光少年」でブライクが「真紅虎龍牙」を目覚めさせたエピソードがありました。あの時に意志を持っているような描写があったのは、クロイツとしての力がまだ残っているのではないか、なんて考えてしまいます。
 土塚先生が彩光少年2巻「全開と全開」の後の一言で「それだけでも脅威だが……」とまだ秘密があるような書き方をしているから、4章でブルートゼクス復活ありえるんじゃないかなあ。

そういや、同じ禁断魔法だけど「ヘルキルデスベル」は出ませんでした。出自は一体……


○ナツメの国=クリスタベース? と メモリア国の話

 何で?と言われると何となくでしかないんですが、現代ではクインベル=女性が支配している国なので、ナツメが作った国がそのまま該当するのかなあ、なんて。
追記:どえらい勘違いでした。が、書いてしまったので残しておきます
 
 あと国関係で言えば、マジェンガ=メモリアなのかどうかが気になります。作中で描かれている2つの地図の地形が全然違うので別の国なのかなと思いつつ、他の場所に乱月を封印するのも考えにくいです。
 メモリア魔法陣を行った島=ポッカ島(シュウガの肉体が鞘になっているなら、シュウガが生涯を終えた場所が封印箇所になる)とも一瞬考えたんですけど、それもそれで説得力が足りないですし。
 うーむ、メモリア王国については何かしら語られると思っていたのですが。


 という感じで、何も解決していないけど投下しておきます


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「マテリアル・パズル」 「マザー」について考えてみた

 「ゼロクロイツ」最終巻が発売したものの「神無」の開始時期は未定ということで、今のうちに書いておきたい「マテリアル・パズル」の小話です。
今回は「マザー」の話。

○「マザー」とは?

 初出は8巻。1章の終盤です。命令違反で暴走気味の身内を制止するために、暫定ラスボスのクゥがズギョっと使用しました。初めて見た時は「マザー」という何の魔法か予想がつかない名前の謎加減と、クゥから漂う強キャラオーラに圧倒されたことを覚えています。

 次に出てきたのはコミックスだと「採光少年」の1巻に収録された外伝「三大神器誕生」です。
ここで「マザー」が「空間歪曲魔法」だとあっさり判明します。ここで、8巻で使用した時にブライクたちを止められた理由がわかりました。よく見なくても空間に歪みができていました。
 そして「最強の魔法」とも明言されます。
読み返したところ、ブライクが12巻でクゥのことを「最強の魔法使い」と称していました。クードラ状態は魔法使いとは違うので、最強の魔法を持っている=最強の魔法使いと解釈しました。

 そして、まさかのゼロクロ最終巻で登場です。しかも物語を終わらせる重要な役割を果たしました。
「マザー」は、世界を救うためにシュウガがこの世に生み出した新たな魔法だったと。驚きです。
が、デュデュマの脅威から世界を救ったとなると、「最強魔法」と言われても納得せざるを得ません。


○何で「マザー」なのか?

 採光少年が完結してから、ゼロクロ最終巻を読むまでは、クゥが「マザー」を所持している理由を以下のように考えていました。

1:クゥは母親=ムリアを求めている。だから「マザー」という名前の魔法を持っている。
(アダラパタ説に則ると、心の穴を与えられた魔法で埋めている=「マザー」を得ること、得たい気持ちでクゥは安定している)
2:「マザー」の属性が「仔」→分解すると「人」の「子」であることから、この魔法を持っている限りはクードラドールは「クゥ」でいられる

 2に関しては、採光少年で自身の口から語られている通りです。ムリアがいるからクゥでいられる。いなくなってしまったらどうなるかわからない、と。事実、コルクマリーの凶行によってムリアが絶命し、クゥが暴走。クードラドールとなってしまったようです。

 今まではクゥありきで「マザー」という名前である理由を考えていました。が、ゼロクロで使用されてまた事情が変わってきました。そもそもの名づけ親のシュウガがいるわけです。
 まあ、ゼロクロで追加された「マザー」の由来は単純で、那智さんも仰っているように「母なる大地から生まれた魔法」ということに尽きるでしょう。
「シュウガはこんなこと言わない」と言いたくなるんですが、この辺はベルジと少し混じってるんじゃないかなと思っていたりします。話題が違うのでこの辺で止めておきますが。


 「マザー」という名前の魔法をクゥが持っている運命的な理由については今まで考えて納得していたものの、そもそも「何でマザーなのか?」については考えたことがありませんでした。それが今回、ゼロクロで答えが与えられて理解が深まった気がしていまう。
 そして、所持者の対比が、ゼロクロで誕生理由が語られたことで面白くなったなと。
シュウガが"星を守るために"生み出したのに対して、クゥが"星を滅ぼすために"活動をするムリアの傍にいて「マザー」を所持している。この辺も意図的にやっているに違いないので、まだ「マザー」で一波乱ありそうな予感がします。
 そもそもが、外伝として事実について描かれているのではなく、グリンが実際に目撃しているという形をとっているので期待せずにはいられません。
 が、まずは「神無」が開始しないことには何も始まらないわけで……待ちきれないです。

「宇宙兄弟」 ムッタとケンジの握手

 「宇宙兄弟」最新16巻が面白いです。言うまでもありません。
16巻は、月を目指すチームへ参加することを認められたムッタと、同じチームにいる親友のケンジを中心に、訓練の様子が描かれています。
当然のように、2人は今までのように息を合わせて協力し、与えられた課題を順調にクリアしていきます。水中での訓練によって月の重力を疑似体験したムッタとケンジは、自分達が月へ行ける手ごたえを強めながら、友情も深めていきます。

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小山宙哉「宇宙兄弟」18巻

 いい画です。言葉にしなくても互いに支え合えるのが、ムッタとケンジの友情の形であることは今までを見れば明らかです。
しかし、「2人のうちどちらか1人しか月に行けない」という残酷な事実が告げられると2人の関係に変化が訪れます。

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小山宙哉「宇宙兄弟」18巻・

 ムッタとケンジは手を取り合うことができません。このシーンは今までの二人を振り返ると信じられませんでした。嘘でもいいから手を取って欲しかったと思わずにはいられません。
今回はムッタが先に手を伸ばしたので、ケンジが断っていますが、おそらく逆でも同じことになっていたはずです。

 私は先ほど、ムッタとケンジが手を取り合わなかったシーンについて、「今までの二人を振り返ると信じられない」と言及しました。今回のような「手を貸す」状況は初めてですが、作品を通して二人はよく握手をしています。
ムッタとケンジはよく握手をしているという印象があったから、手を取り合わない、つまり、握手の形が成立しないことが信じられなかったのです。

 16巻を読み終わると、「ムッタとケンジは今までどれだけ握手をしていただろうか」と気になりました。また、単純にまた最初から読み返したくなったこともあり1巻から16巻まで通して読みました。すると、握手についてちょっと面白い発見がありました。
独自の解釈も含めての発見なので、法則として成立しているかどうかは怪しいです。けれども、紹介しないよりはした方がいいだろうと思うので、「そうかもしれないな」という程度に見てもらえれば嬉しいです。
 ということで、握手の歴史を順番に見ていきます。

・記念すべき初握手

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小山宙哉「宇宙兄弟」1巻・

 記念すべき初の握手は二人が出会って間もなくの頃です。ここでは、ケンジから握手を求めています。
宇宙飛行士候補の2次審査会場で出会ったムッタとケンジはすぐに意気投合し、10分話しただけで「ムッ君」「ケンジ」と呼び合う仲になります。会ったその日に親友になれる関係だったからこそ、16巻の例のシーンは余計辛く感じたのかもしれません。
 本筋とは関係ありませんが、今見ると絵の雰囲気が少し違うように見えます。初期から変わっていないような印象を持っていたんですが、そんなことはなかったようです。

・2度目の握手

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小山宙哉「宇宙兄弟」1巻・

 2度目の握手は、自慢の肺活量テストで凡ミスをしたムッタが、ケンジから激励の一言を受けた直後です。「自分は一番になれない」と落ち込むムッタはケンジに後押しされていなければ、日々人だけの力では試験を乗り越えることは難しかったかもしれません。ケンジは偉大です。
ここではムッタから握手を求めています。

・3度目の握手

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小山宙哉「宇宙兄弟」1巻・

 3度目の握手はケンジからです。
2回目と同じ話(#5)の中で握手をしたせいか、ムッタが思わず「何回握手するんだ」と言ってしまっています。#5はせりかさんの初メインエピソードなので見落としていましたが、1話で2回握手していたこともあったのかと驚きました。確かに1話で2回は多いです。

・4度目の握手

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小山宙哉「宇宙兄弟」1巻・

 携帯を失い、皆の輪に入れないムッタ。そこへのケンジからの思わぬプレゼントとして、せりかさんのアドレスが記されたメモが!ムッタ、感謝の握手です。これが4度目でした。
こうして見ると、ケンジは「共に頑張ろう」という意味合いでムッタに手を差し出していますけれど、ムッタはケンジに対する感謝と共に手を差し出しているように見えます。同じ握手でも、よく見ると違うことに今更気が付きました。
ここではムッタから握手を求めている……ように見えるので、そう解釈しました。手が描かれていないため微妙なところです。どうなんでしょうか。

・5度目の握手

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小山宙哉「宇宙兄弟」2巻・

 5回目の握手は、3次審査の3日前に交わされました。この時点でムッタは既に、ケンジの家に友人として迎えられる程の信頼を得ています。ここで聞いた「かぺ」が、ケンジとムッタの友情を更に強めている気がするから不思議です。この作品の持つ言葉の力の強さが大好きです。
この握手はケンジからです。ケンジから握手を求める時は、やはり、共に闘い抜く決意を込めているように見えます。

・6度目の握手

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小山宙哉「宇宙兄弟」3巻・

 問題の6度目の握手は、3次審査で別のチームになったケンジとムッタが別れ際にしています。
今までの経緯を考えるとケンジから握手を求めているように読めるのですが、この握手は2人の手が同時に差し伸べられた、と解釈したいです。手が描かれていないのと、かなりこじつけですが、いい加減ムッタも握手を求められるタイミングがわかってきて同時に手を差し伸べた、という理由を付けてみました。やはり苦しいでしょうか。

・7度目の握手

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小山宙哉「宇宙兄弟」5巻・

 3次審査でムッタとケンジは別グループだったので、間が空いて5巻になりました。7度目の握手はムッタからです。
「忘れてた」と言い、握手をするために戻る程、2人の間では習慣になっているようです。
ムッタが今までと違って、「お互いに頑張ろう」というような意味を込めて握手をしたのは面白い変化ではないでしょうか。、3次審査で結束したメンバーから選ばれて最終審査へ進めたことが、宇宙飛行士になることへの覚悟を一層強めたのかもしれません。

・8度目の握手

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小山宙哉「宇宙兄弟」8巻・

 さらに間が空いて8巻です。晴れて宇宙飛行士候補になることの出来たムッタとケンジは今までで一番力強い握手を交わします。
ここも同時に手を差し伸べたと読みました。どちらともなく自然と握手をした、というのが自分の中ではしっくり来ます。

・9度目の握手

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小山宙哉「宇宙兄弟」13巻・

 9度目の握手は、飛びに飛んで13巻の巻末付近で交わされます。
宇宙飛行士候補から宇宙飛行士へ正式に任命された場面での握手は、2人の変わらない友情を示してくれています。握手の間隔が広くなったのは、1巻のようにムッタの仲間がケンジしかいない、という状況から大きく変化したからなのでしょう。この頃はケンジよりも新田にスポットが当たっていましたし、そもそもムッタの行く道がケンジとは別の、困難が多い道でした。
久々の握手は手がしっかり描かれている通り、ケンジからです。

 非常に長くなりましたが、16巻までに交わされた握手を全て見てみました。

 同時に交わされた握手を除くと、手を先に差し伸べた順を見ていくと、ケンジムッタケンジムッタ→……となっています。
 
 16巻では不成立のものも含め、3度の握手が描かれています。
この順番が、13巻のケンジから続いて、ムッタムッタ(不成立)ケンジとなることで順番がしっかり守られたと読むこともできるのではないかなというわけです。
 先に述べたように、ムッタとケンジが逆の立場でも握手は不成立だったに違いありません。では、なぜ連続でムッタからの握手が続けて描かれたのかを考えた時、答えとしてこういうことも考えられるのではと思いました。
もちろん、ムッタから差し伸べた手が一度目は取ってもらえたのに、二度目は取ってもらえなかったことの衝撃が一番でしょうけれど。

 ただ、作者のこだわりとして「握手のシーンにおいて、手を先に差し伸べる順番をケンジとムッタが交互になるように描いている」のではないかと考えると、成立しなかった握手の意味合いが更に強くなった気がします。

 16巻の中で、ムッタとケンジは和解することができました。が、その握手がどういうものだったかはあえてここでは書きません。オチは言ってしまっているようなものですけれど。
ただ、作品を通して印象的な握手がいくつもある中で、16巻の三度目の握手はどれにも負けない力強さなのではないか、ということは言いたいです。
 この更新のために最初から読み返して、ムッタとケンジの友情を再確認することで「宇宙兄弟」がもっと好きになったのでした。

「お茶にごす。」最終巻 サンデー掲載時よりわかりやすくなってます

 「お茶にごす。」最終巻についてアレコレ 

 タイトルにある通り、コミックスを読み終えて「わかりやすくなってるなー」という印象を受けました。
というのも、読みながら「これはサンデー掲載時と違うな…」というシーンがいくつもありまして、雑誌を引っ張り出して確認してみたところやっぱり色々と違いました。比較して見ていきましょう。

○102服

・夏帆の「なんでアンタはそんなとこにいんのよ!」というモノローグが追加された

ocha11-3.jpg  →→→  ocha11-2.jpg

 これは賛否両論ありそうな気がします。
(夏帆は「無言で」、まークンが部長のことを想うのを(イライラしながら)見ていたわけですし。この辺をそのスタート地点とするなら尚更かなと。)
曲解すると「近くにいたら助けるくせに、どうして距離を置こうとするのか」っていうもどかしさみたいなのもあるのかなということで、アリなのかなと思いましたが、ないならないでも不自然さはないからどっちとも言えません。

・部長のモノローグが完全に差し替えられている

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 丸っきり変わっているということは最重要視するポイントなのかなと思います。
(それこそ、じっくり考えればこれだけで記事が書けそうなくらいに。)
「部長がまークンのことを"立派"」と思っている(「真っ直ぐ」という表現は異性としてどうこうってことじゃないと思います。)というのから、
「誰よりも私を心配してくれたのに…」という風に"私を"と入れることで、部長がまークンの気持ちを知っていて、それを部長がどう受け止めているかというのが変更前よりもかなり伝わりやすくなっているのかなと。
それと、部長の気持ちがわかるのって、何気に初では。


○106服

7:3編は「契約せよ…」とかタマちゃんとチカの反応とか色々変わってましたが、結末には関係ないので飛ばします。

・ヒナが「気づいた」効果が追加されている

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 「わかりやすくなった」という点においては、このシーンはかなり違う印象を受けました。
影が顔にかかって、この次のコマで彼女は外をふと見やるんですが、何で外を見たの?ってのがわかりやすくなってるんじゃないでしょうか。こういう風にして背景にまで気を配っているのは「西森先生らしい」ですね。
後半はまークンの気持ちがメインになったけど、最後に1回「茶道」の神聖さを描いておきたかったのかなと。そう考えるとヒナちゃんは作品の原点を思い出させてくれるいいキャラだったなーとつくづく思いますね。

○108服

・「部長かと一瞬勘違いした人」とすれ違った後にマーくんの鼓動が追加されている

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 「ここは修正要るの?」というのが正直な気持ちなんですが、掲載当時に某所でも「あのシーンなんなの?」って声がいくつか挙がっていたので妥当なのかな。ってことで、ここもまた「わかりやすさ」を象徴した修正の一部かなと。

 こんな感じで全体的に心理描写が書き足されてわかりやすくなっていたなと。
これってやっぱり、最終回があんな感じで唐突に終わったように見えるから「道士郎に続いて、また打ち切りなの!?」って思った人が多くて(もっというと突撃した人も多そうな…)、「そうじゃないんだよ」ってバックステージで回答をした西森先生が本編でもそれを伝えるために「わかりやすく」したってことなんでしょうね。
(道士郎も別に打ち切りっぽくは見えませんが、まぁ関係ない話なので置いときます)

 言われてみれば部長側からまークンへの気持ちは明かされていなくて、はっきりとした描写が欲しい人には唐突に見えたかもしれないというのはわかりますし。ということで、モノローグ差し替えはそういう人に向けて、西森先生が入れてくれたのかなと。
(「ちょーだい、夕日」で充分だとは思うんですが、それは私の主観なので、足りないと思った人には足りないんでしょう。どこまで描けばいいかってのは難しいですね…)
にしても、この部分が違っただけで作品全体に対する印象もだいぶ変わりますね。私だけかもしれないんですけど、部長側から1つアプローチがあるだけでこんなに変わるのか!と驚いています。

 最終巻の感想でも書ければいいんでしょうけど、最終回記事で言ったように「他人から見てまークンがどう見えるのか」の変化が全てだと思うし、その後に部長とどうなったかというのも表紙と中表紙(でいいんでしたっけ?)でフォローされてますし(久々の表紙描き下ろしはこれまた「最終回なにあれ!?」って人達に向けてのアンサーなんですかね。)、特に考えが変わったとかはないので、あっちで言ったようにこれ以上の終わり方はないし、「お茶にごす。」は素晴らしい作品だという気持ちに変わりはないです。

「打ち切りかも!?」と思った人は西森先生のバックステージを読んでみてください。真相が書いてあります。


 なんか「俺は修正前からわかってたぜ!」みたいな偉そうな記事になってるかもしれませんね。イラっとした方がいたらごめんなさい。

「お茶にごす。」 いい最終回でした! 

2009年7月の更新を修正して再掲したものです

「お茶にごす。」最終回についてアレコレと

○まークンと夏帆

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 まークンの態度を見かねた夏帆は、文字通り背中を押して(+川に突き落として)「優しさ」の何たるかを説きました。「自分に優しくできない奴は、人に優しくなんてできない」と。

 思えば、部長から遠ざかった後のまークンは優しくなろうとして意地になっていたように見えます。
それに、108服では他人からの優しさを断ったり(「船橋さんの力になりたい!」って言ってくれる一般人がいる時点で相当な進歩なのですが、おそらく「優しくされている」ということに、まークンは気づいていない。)、「大丈夫だ。」と自分に言い聞かせて「他人に優しくすれば自分はどうなってもいい」という行動をしていた節もあります。(山田が「慈善事業」と言っていたことから、付き合いきれないレベルまで達していたんでしょうね。)

 負の連鎖を生み出し、部長を危機にさらしたことのある自分が優しくされていいはずがない、という思いがあったであろうまークンは「自分に優しくしてもいい」なんてことは考えたこともなかったのでしょう。
しかし、夏帆の一言で霧が晴れます。自分に優しくしてもいいのだと。「優しい人」であろうとするならば、自分のしたいことをすればいいのだと。
そして、まークンが最も望んでいることは―


○夏帆の成長

 夏帆は当初、まークンを部長に近づけさせまいとしていました。それが最終的には「(部長の傍にいることを他の誰が許さなくても)私は許す。」とまで言ってくれたのは、夏帆の成長の証と見ていいんじゃないでしょうか。ノラとか言ってた頃が懐かしい…(しみじみ)
最後の最後に今までまークンに対して出せなかった本音(例:7巻64服の「アタシはいいと思うよ」)が出せて、それが最大の効果を発揮したというのもいいですね。
(ついでに言うと、口が悪いのもやっと本音で話せたことを意味してるんじゃないかなーと。)

 で、最後の最後でまークンにときめいたかも!?という描写があったのはニクい演出かなと。
(「ウウー」って言って照れてるのは今までの中でもかなり可愛い…!)
ただ、これを引きずらないで(?)チカ達との会話に移行してるので「照れた」だけなのかもしれませんし、だからってこの後好きになることはありえないでしょうけど「そういう可能性もあったかもね」ぐらいに捉えると面白いかもしれません。
最後までフラグを立てそこねたヤーマダに頑張ってほしいですが、どうなるやら。


○ヤーマダ

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 最後の最後でこの男は…
鼻からウドンといい、割とギャグ担当だったんじゃないかと思います。
(先週、ヒナちゃんが言った「ヤーマダさんってお軽いですよね」が物語における彼の立ち位置を物語っているんじゃないだろうか…)

 が、まークンが部長にアタックしてどうなるか?というのを楽しそうに話す女の子達を見て何か思っている真面目な顔のコマがいいですね。(私は、まークンのことを心配してくれる人がたくさんいて嬉しい+きっと上手くいくから頑張れ。だと予想)
それと、まークンの脳内イメージのヤーマダがバカにした後に慰めてくれていたのもいいなと。
部長から身を引いた時に「グッド!」とか言い出した時は「アホかテメー!」と思いましたが、夏帆に後押しをさせる為には仕方なかったんですかね。卒業式でまークンをけしかけたり、最後には泣いてくれたりと心の底では応援していたのがわかったのでよかったです。

 ただ、、夏帆との関係がうやむやだったのは…可哀想?残念?仕方ない?
どれがふさわしいかわかりませんが、(勝算はあると思うけど)連載においてはあんまり進展がなかったので、妄想に頼らざると得ないのが何とも…


○まークンの笑顔

 最終回の一番の見所は実はここなんじゃないかと思っています。
部長に会うために走るまークン。それを見つめる人々は―

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 同じように笑顔です。
 
 と、ここで思い出したのが1服の冒頭。

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 まークンが歩いているだけで人々は恐怖しています。

 ここの対比を西森先生は描きたかったのであり、このシーンこそがまークンが優しい人になれたということを証明してるんじゃないでしょうか。
西森先生は誰かがまークンに直接「君は優しい人だよ」と言うシーンを避けて、他の人がまークンを見てどういう表情をするかという(1服と最終服の対比で)視覚的に「まークンが優しい人になれた」という演出をしたのかなと思いました。
つまり、あえて誰にも「優しい」と言わせることなく、まークンが自然と優しい人になれたということを描きたかったのかなということですね。
この最終回を読むと、「見ればわかる」この演出方法がベストだと思いました。


○まークンと部長

 言葉も画像もいりませんね。部長の笑顔を見れただけで言うことないです…!


○ラストページ

 初見では、最高の見開きをめくった瞬間にラストページが訪れて力が抜けました…
が、何度も読み返すうちに「あれでいいんだ」と思うようになりました。
さっき言ったように、まークンを見る通行人の目が穏やかだったことで「お茶にごす。」は終わっていいと思うんです。だから、その後に部長とまークンが何を話しただとか、どういう関係になったのかとか、そういうのはそれぞれの読者が考えていけばいいのかなと。
(私の予想では、山田のセリフも踏まえて、これから良い関係を築いていくんだと信じています。)

 で、最終コマの掛け軸が気になってググって(ヤフって?)みたところ―

法雄山 常休禅寺さんの2002年5月の今月のお題より引用

 >「開径」は道を切り開くことであるが、「佳賓」待ちかねた良き客のために道を整える意である。
>すなわち、賓客を迎えるために細やかな心配りをすること

>又、心を開かなければ良きことが訪れぬということでもある。


 西森先生はこういう所まで気を配っているから素晴らしい…!

 「待ちかねた良き客」とは部長にとってのまークンなのかな。
(あのポーズは「待ってました」と言わんばかりだったので)
ただ、「心配りをすること」に着目して、まーくんを「良き客」=「優しい人」と捉えるなら、夏帆が心配りをして道を整えてくれる人なのかもしれません。

 下については言うまでもないですね。
夏帆の一押しとまークンの心からの願いが、掛け軸にもなるような格言を体現していたというのはこの上ないラストになったんじゃないでしょうか。当然意識して描いてるでしょうから、西森先生の深さには頭が下がるばかりです。


○扉絵

 なんでここを最後に持ってきたかというと、時系列で考えると一番最後だと思ったからです。
たぶんこれは最終回後日の話で、まークンが夏帆に「まぁ、部長とアンタは釣り合わないけどね」とか冗談半分で毒づかれて青白くなってるのかなと

 ちなみに、タイトルの「雅矢と部長」を見た瞬間にガッツポーズしたのは言うまでもありません。



 そんな感じで、1服の冒頭との対比がなされた時点で「お茶にごす。」で西森先生が描きたかったことは描かれていて、その後の部長とまークンがどうなったか?というのは、極端に言ってしまえばメインテーマじゃないので「ぼかして終了」というのもありかなと思いました。
(本筋は「優しい人になる」であって、部長とくっつけばゴールじゃないですしね。)
まぁ、こんなことが言えるのは最終回に部長が出てきてくれたからなんですけどね

 でも、告白するところも見たかった!と言っている人たちの気持ちもわかります。
なので、100人が読んで全員が納得するラストではなかったというのは否定できないんですけど、こういう余韻たっぷりの終わり方もまたいいんじゃないでしょうか。
私の中では考えうる最高のラストで、「お茶にごす。」は大好きな作品であり続けるに違いありません。西森先生に素敵な作品ありがとうございました!と心から言いたいです。

「お茶にごす。」 新キャラのヒナちゃんをもっと見たかった

2009年7月の更新を修正して再掲したものです

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 まークン達が2年生になったことで1年生の新キャラが登場しました。
それがこの青石日來ちゃんです。
この子のせいで「お茶にごす。」が続くもんだと思い込んでしまったので、終わると知ったときは大層ショックでした…。「部長が卒業した時に確実に終わるな…」と思ったのを、まークンが2年生になったのと、この子が新入部員になったことで綺麗に打ち消してくれたと錯覚させられてしまいましたから。
あと、この子と直接関係ないんだけど、7:3まークンの回が面白すぎて残り数回でやる話じゃない気がしたってのもあります。

 まず感心するのが西森先生の引き出しの多さです。
「今日から俺は!」の理子、京ちゃん「天使な小生意気」のめぐ、美木、、「道士郎でござる」のエリタン、道士郎ママ(←実は西森作品で一番可愛いかもしれない)、そして「お茶にごす。」の部長と夏帆といったように、「女の子の可愛さである程度成り立ってる作品」じゃないにも関わらず西森先生が描く女の子はとにかく魅力的なんです。
そんな彼女たちとはまた違ったタイプで、おおざっぱに分類するなら今まではチョイ役だった「軽い感じの女の子」になるんですかね?

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 今までは主人公のタイプに合わせて「理想の女の子」が出てきてた印象を受けるんですが(エリタンは例外かもしれないんですが、健助の理想っぽいので当てはまらなくもないのかな?)、今回は「まークンの成長を見せる為に」出てきたせいか、それとも「物語における大きな役割」を担っていないせいか真新しい感じを受けました。
1行にまとめると、メインキャラでこんなにぷわぷわしてる子はいなかったよね、ってことです。

 で、まだ(当時)4回しか出てきていないのに、ちゃんと「ヒナちゃんってこんなキャラだよな」って言えることにも西森先生の力を思い知らされます。
ベクトルは違いますが、「今日俺」のフンドシマスクなんかも出番が少ないのに強烈に印象に残ってますから、短期でのキャラ立ての力は抜群だと考えて間違いないでしょう。

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 あと、可愛いだけじゃなくて今までにいなかった「まークンを普通の男として見てくれてる」ポジションなんだなと読んでいると気づきました。

 言い換えるなら、向こうから積極的に近づいてきてくれると言ってもいいのかな。
夏帆(と智花)は今でこそ割と普通の関係を築いていますが、"最初から"(←ここ大事)まークンを「普通の人」とは思っておらず、茶道部から追い出そうとしていました。
部長は「普通の人」として接しようとしてくれたんですが、外部の情報だったり、まークンの「普通」の感覚がおかしかったりで、やっぱり物語前半ではどこか壁がありました。で、やっと普通の関係を築けそうになったところでまークンの方から距離を置いてしまったので「普通」の関係にはなれなかったという悲しい結果になりましたし…
でも、今週号を読んでもらえばわかるんですけど、ヒナちゃんはまークン(と山田)と肩を並べて歩いてるんですよ。しかも部長たちといた時にしてた話題は「昔はどんな子供でしたか?」とか当たり障りのないものだったのに、ヒナちゃんとは「夏帆さんとどういう関係なんですか?」といったような突っ込んだ話まで出来ているんです。
これはヒナちゃんの性格のおかげでもあるんでしょうけど、1年間茶道に携わることによって(と言うより、部長と出会って自分のことや周りのことをよく考えるようになって)「まークンが優しくなれた」ということをも示しているんでしょう。

 そういう意味では「優しい人になりたい」というまークンの望みの延長にあるであろう「普通の人と普通に接したい」という願望をわかりやすく示してくれているので、「お茶にごす。」の最後を飾る新キャラとしてふさわしいんじゃないでしょうか。

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 ラスト5回しか登場しないという扱いは「勿体ない!もっと見たい!」に尽きます。特に今週は可愛かったですし…!(ということでもう1枚貼っておく)
西森先生のことですから、新作ではまた違ったタイプの女の子が出てくるでしょう。ってことは「ヒナちゃんっぽい」子は出ないかもしれないんです。そう考えると…ホントもったいないです。
なんですが、こんな良キャラを作品のラストのアクセントとして使って終わらせる思い切りのよさは紛れもなく「西森先生らしさ」なんでしょう。
(ついでに言うと印象にも残るんですけどね)

「保健室の死神」 三途川先生が波動拳を撃ちたいわけ


 「保健室の死神」のちょっとした話。
2巻のWising編でこんなシーンがありました。

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かめはめ…波動拳!?

 ジャンプ的には「かめはめ波」の方がよかったんじゃないか、という感想を当時いくつも見かけたことを覚えています。が、本題はそこではありません。なんで三途川先生は波動拳を撃ちたがっていたのか。
画像では一見ふざけているように見えるんですけど、真相は別の所にありました。
先ほどの画像の波動拳のシーンは「Wishing」という、本人の望んだ夢を見せるシステムの中での出来事です。
その管理者が言うに、三途川先生は

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 「圧倒的な力」を欲しているそうです。
別に波動拳でなくてもいいから、圧倒的な力があれば彼女の望みは叶うらしいとのこと。じゃあ、圧倒的な力で何をするのか?答えは決まっています。圧倒的な力があれば、教え子のハデス先生が戦わずに済むからです。

 同じことを考えている人は他にもいました。こっちは、考えているというか実行までしちゃいました。
ハデス先生の友人のひとり、経一です。彼は、自分の身体に思念体を取り込む「魔煙草」を開発してもらい、使用するのですが、その時に自身が言ったのがこのセリフです。

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パワー=力ということで

 またしても「圧倒的な力」です
ワケわかんねー力をねじ伏せるためには有無を言わさないパワーが必要である、というのが欲した理由。
予想外の能力を持つ病魔を倒すために必要なものは、三途川先生も経一も考えが一致していて、やっぱりそれはハデス先生のためです。そこまで考えると、2巻でギャグっぽく描かれた「波動拳」からの「圧倒的な力」のくだりは意外と深かったんだなと、8巻まで読んでみて気付いたのでした。
 
 ただ、9巻で明らかになるように、経一が使う「魔煙草」はリスクを伴う、結局はハデス先生の力と似たようなものでした。
三途川先生が経一のような邪法に手を出せないのは、先生として教え子に示しがつかないというか、ハデス先生も頑固なので、病魔の力やそれに類するもので自分が助けられたら納得してもらえないからなんだろうなと。
こういう所まで考えたら、この作品では「大人の葛藤」がしっかり描かれているなとまた感心が強まりました。
9巻の嬉し泣きとか、ハデス先生の他の人に頼られたくない所とか、経一と鈍のハデス先生への想いとか、すごく好きです。

 ハデス先生は良い人たちに囲まれているなとこういう発見をするたびに思います。
残念ながら作品は打ち切りで終了ということになってしまったようですが、ハッピーエンドで終わってますようにと祈るばかりです。10巻が楽しみ。


「絶対可憐チルドレン」 これも1つの伏線回収ですよ

【2010年10月更新の再掲です】

「絶対可憐チルドレン」から、23巻でちょっとだけ描かれた小ネタの話。
この巻の冒頭に収録された4話編成のエピソード「ロスト・ガイズ」での一幕。
極限状態に陥った皆本と賢木が珍しく本気で言い合いをする、というシーンがあります。

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(椎名高志「絶対可憐チルドレン」 23巻 73ページ)

 直前のコマで皆本が自分のことを「俺」と呼んでいるのが異常なテンションである何よりの証明で、本当はそこまで気にしていないことなんだろうなとは思うんですが、あえてこのシーンにちょっと踏み入ります。
(皆本は普段、自分のことを「僕」と呼ぶ)

【余談】
絵だけじゃなくてこういう部分で心理状態を見せる椎名先生が凄いと思ってしまいます。
さっき読み返していてやっと気づいたんですけど、兵部が自分を「少佐」と呼ばせている、あるいは「少佐」と呼ばれるのを禁じていないのは、憎悪の対象である「軍属だった自分」の過去をやはりどこかで捨てきれないからなんだな、ということに気が付きました。
何だ、未練あるのか。凄く人間くさいじゃないかと。
それでやはりパンドラが好きになるわけですが、余談の余談になるのでやめます。
カガリとカズラが頻繁に出るようになってから更に好きになってます。

 閑話休題。
賢木の奔放さが自分には無い部分で、そういう所を尊敬あるいは羨むことで親友として上手くやっていけているのかな、という風に読んでいただけに皆本の本音(というか、少しだけそう思っていたこと?)が意外なものでした。
事実、前に賢木の下半身のだらしなさが証明されたシーンでは尊敬すらしていましたから。

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(18巻 27ページ)

 皆本は「……マメだなー、お前……」と評し、賢木の女性に対する対応を褒めています。
しかし、23巻を読んだ後だと三点リーダ2つ(点6つ分)の沈黙が意味を持ってくる気がしませんか。
この一瞬の間が「ロスト・ガイズ」で訪れた極限状態で思わず洩れたの本音なのではないかなと。
ここでも「また別の女性を…」と、賢木(の下半身)への疑い(?)がまっ先に浮かんだけど、直後にフォローの言葉も浮かんで口にしたと。
これぞ伏線回収ですよ。素晴らしい。
(たぶん、皆本にとってはどっちも本音なんでしょうけど。)

 あの時点で「だらしない下半身」が気になってたのなら、避けて通れない衝突だったのでしょう。
この時は紫穂が賢木を視た(=サイコメトリーした)ので皆本に触れることはありませんでしたが、皆本の心を視ていたら「皆本さんも賢木センセのことだらしないと思ってる」なんて言われて喧嘩が前倒しになっていた可能性が大いにありえたわけです。
紫穂は賢木のことが(気が合わない程度ですが)嫌いなので、皆本を味方に付けようとするでしょうから。
そういう意味では「予知を先に実現すれば未来を変える事ができる」のをこれ以前の作中で証明していた絶チルらしいシーンと言えるかな。

 ここで言っていれば「実は賢木の下半身のだらしなさを疑問視していた皆本」は存在しなかったから喧嘩にならなかったかもしれない。
逆に、ここで言わなかったことで「ロスト・ガイズ」で「あの時も言ったけど~」みたいな展開にならずに済んで、本来2回発生するはずの喧嘩が1回に収まった可能性もあるわけです。
そう考えるとこのシーンはかなり深い……のか?

 あと気になったことと言えば
23巻冒頭の「さぷりめんと」で「勝負パンツがわからない組」に属し、疑問を抱いてた葵が

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(23巻 122ページ)

 6話後の本編の1シーンで何となく察しているように見えるのが気になります。
(あるいは、ここで「勝負」について察したのかもしれません)
「さぷりめんと」の例の話の後に「勝負パンツ」でググったんでしょうか。
女性キャラでは圧倒的に紫穂派なんですが、その光景を想像すると葵もいいなと思ってしまいました。
「身長とか(=胸意外の部分が)が成長してる」みたいなことを自分で言ってたけど、「とか」はそういうことだったのか……

 という感じで、ギャグ系のネタなら「さぷりめんと」と本編の間でネタを出したりを拾ったりの関係は今まで何度もありましたが、今回の前半で取り上げた本編間でのギャグ系のネタの長いパスは意外と少ないのではないでしょうか。
「ギャグ系のネタなら」と言ったように、シリアスネタなら本編で頻繁にロングパスしてますが。
あるキャラクター関連の要素を拾う為に読み返した時に偶然気づいただけなので、探せばもっと色々仕込んでありそうなので再読する楽しみが増えました。


「なにかもちがってますか」 「殺す」と「コロす」

20110023.jpg 

 表情と発言が違う、というのは漫画ならではの表現の1つであると思っています。
満腹じゃないのに「満腹だぁ」と言ってしまうマサルさんが真っ先に思い浮かんだので貼りましたが、探せば他にも色々あるはず。怒っているのに顔は平静を保っている、とか、照れて顔が真っ赤なのに言葉では嬉しくないフリをしている、とか。1つの作品にそういうシーンが無いほうが珍しいかもしれません。
 「漫画ならでは」と言ったのは、音が無いのに言葉が見えるから、そして表情が描かれているからです。
そんな、漫画ならではのシーンを「なにかもちがってますか」から1つ紹介。

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 ここで共通しているのは「ころす」という言葉。
片方は「殺す」と言い、もう片方は「コロす」と言っています。
右のコマ「殺す」と言った一社くん(下に貼ってある表紙の少年)と、左のコマ「コロす」と言ったカメさん、この2人が今この瞬間にケンカしたら勝つのはカメさんでしょう。(もし一社くんが凶器を持っていたら、彼はほぼ間違いなく凶器を使うのでまた別の話になってしまいますが、)この言い合いから即座に殴りあいになって、それこそ「ころす」レベルまで行ってしまえば、殺されてしまうのは一社くんでしょう。
 
 しかし、一社くんの殺意は確かで「殺す」つもりで発言をしています。この後も彼は殺意を口にしていることから、本気であることが窺えます。
一方のカメさんは「コロす」であり、殺意は籠っていません。口の悪い子供がはずみで言ってしまうような、そんな程度の意味しかないのです。
もっと言ってしまえば、売り言葉に買い言葉であり、一社くんが「殺す」と言わなければ、カメさんはきっと「コロす」言わなかったでしょう。それくらい意味のない言葉です。「コロ」に漢字が当てはめることができないくらい、何の意味もない言葉です。
 このように2人の言葉から殺意の有無がはっきりと見て取れるわけですが、実際は=作中のキャラクターにはどう見えたでしょう。きっと、カメさんの方が「殺す」という言葉に真実味があるように見えたのではないでしょうか。
 
 では、なぜカメさんに殺意があるように見えるのか。このシーンが「漫画ならでは」であることと絡めて、もう少し説明します。
例えば、このシーンに音声が乗ると仮定します。おそらく語気が強い方はカメさんであり、また、客観的に見て「殺す」という言葉が本気に見えるのもカメさんでしょう。彼の方が力が強いのだし、言い方にも力が籠っているのですから。
 でも事実は、カメさんの「コロす」はただの脅し文句であり、一社くんの「殺す」は明確な殺意を持って放たれているのです。このシーンを漫画以外で、作中キャラにはカメさんの方が強そうに、しかし読者だけには真実がわかるように表現する方法って思いつかないです。

 漫画すごいなと改めて思わされた2コマでした。



・関連:鬼頭莫宏「なにかもちがってますか」1巻
1巻の感想?です

「ぼくらの」 マチ編の隠喩の話

「ぼくらの」より、マチ編(の鬼頭先生)はこれまでの行動との対比をすると残酷だな…という話。

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「だからお兄ちゃん、最高のサポートをしてね。」
(「ぼくらの」鬼頭莫宏 10巻/27ページ)

 まずは「最高のサポート」の話。これはセリフというより絵のリンクの話になるんですが。
あんまり詳しく話すと酷いネタバレになるので言いませんけど、結果としてコエムシがマチに対して行った行動=「最高のサポート」はこの構図の真逆だよね、という話。どういう風に実行したのかしばらく悩んでいたんですけど、何回か読み返して気づきました。このコマみたいにキュッとしたのでしょう。

 未読でネタバレ踏んでもいいやって人のために反転ネタバレでもう少し詳しい話を書くと↓
画像のマチという女の子は、搭乗すると必ず死に、乗らないで時間経過するor負けると地球が滅亡する迷惑ロボット・ジアースのパイロットとなる順番がまわってきています。が、マチはこのエピソードの終盤で戦えない状態になってしまい、このままでは時間経過で地球が滅亡するため、実の兄であるコエムシ(キュッてされてる方)が手を下すしかないという状況になります。そこでコエムシがマチのことをどう「サポート」したのか、という話でした。つまり、マチの命を奪う時にどのような方法を取ったか間接的に描かれている、ということになるんですね。予想が当たっていれば、ですが。
(反転ここまで)

 これで済めばいいんですが、マチ編でもう1つだけ嫌な暗喩を見つけたので紹介。
ジアースの1人目のパイロット・ワクの家を訪れることにしたマチとウシロのインターホンの前でのやり取り。

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「あんたが押しなよ、ウシロ。」
(「ぼくらの」鬼頭莫宏 10巻/50ページ)

 ここでは、インターホンを「押す」という行為をウシロがやるように言われます。
1巻の話なので言ってしまいますけど、ワクはウシロが「押す」ことで海に落下しています。実は、ワクは命が失われたことでウシロの「押す」行動に対して何もできずにそのまま落下したのですが、まだ序盤でジアースのルール(搭乗=死亡)を把握してない頃に起きてしまった出来事だったため、ウシロが落としたせいでは?と思われていた時期もあったんです。
そういう頃の嫌な思い出があるのに、ワクの家を使って「押す」行動をもう1回ウシロにやらせようと仕向けた鬼頭先生…恐ろしいです。
深読みしすぎだろと言われるかもしれませんが、事実、ウシロは

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(「ぼくらの」鬼頭莫宏 10巻/51ページ)

 押す前に何か考えているようにも見えます。それも、1回は引き受けようとしたにも関わらず、この後に断るんです。で、その後のマチの「罪悪感抱えてると思って優しく言ってあげた」というのがまた酷い。罪悪感抱えてるからワクに関係するものを「押す」行為をためらったというのに!と思わずにはいられません。
が、それと同時に、よくここまで仕込んでくるなとも思わずにはいられません。「ぼくらの」凄いです。大好きです。

「鋼の錬金術師」 ホムンクルスの生き様‐ラスト編‐

 「鋼の錬金術師」に登場する人造人間(ホムンクルス)の一人「色欲」のラストについての話。

 完結してから読み返すとホムンクルスは"名前と逆の要素"を持っているのではないか?と思うようになったので、まずは最初に退場したラスト姐さんについてまとめてみます。

 ホムンクルスは
1:名前=本質が作中で明確に表れている
2:「名前」に関連する要素で人間を見下している(もしくは、自身を高位に位置付けている)
3:名前と逆の要素も持っている
 この3点を共通点として持っている、という前提で話を進めていきます。

 例えば、わかりやすいグラトニーだと
・名の通り暴食である
・人間を食べる(食糧=下位と捉えてよい?)
・最期はプライドに「食われる」
 こうなっています。

○「色欲」の本質

 いきなり行き詰まりました。「色欲」っていったいなんでしょう。何となくのイメージは湧きますが、詳しくはわからないので yahoo辞書の力を借りました。それによると

1 男女間の性的な欲望。情欲。
2 色情と物欲。
3 仏語。感覚的な欲望。
 
 こんな感じ。どうやら「性欲」絡む、そのままの意味でよさそうです。
そういうシーンが無いか探してみたんですが、少年誌なせいもあってかラストの本質「色欲」を明確に表した場面は見つかりませんでした。
(「ハガレンクロニクル」によると、少年誌でラストを活躍させるのは難しかったと荒川先生が仰っているので、描かれていない場面で頑張っていたのかもしれません。見たかった。)
 
 作中で該当するシーンはここかな、ということで1コマ紹介。

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(コミックス版10巻・37ページ)

 ハボックは確かにエロさに誘惑されているんですが、「肝心なことは喋らなかった」とラスト自身が言っていたようにハボック(人間)は「色欲」に打ち勝っているので、ラストの特性が100%活かされたとは言えないのかなとも思います。
そういう意味で「辛うじて」と表現しました。

 自身の立ち居振る舞いが名を表すことになるなら、作品内で一番エロい身体つきをしているというのが落とし所になるのかな。

○ラストから見た「人間」

 「本質」がややブレましたが、残りの2点はしっかりと説明できそうです。
2点目と3点目は繋がっている話なのでまとめて説明してしまいましょう。

 まずは人間の評価について。

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(コミックス版2巻・67ページ)

 人間から進化した存在・ホムンクルスであるラストは、リオールの暴動を眺めながらこう言い放ちました。
「人間は愚かで悲しい生き物だわ」と。
人間を「愚か」だと評し見下していますが、それだけではありません。
何故か「悲しい」とも言っており、同情しているような素振りを見せています。

 この「悲しい」と言ったことが、ラストが人間に対して同情と憧れのような感情を持っていた証明なのではないかなと。
ということで、ここから3点目についても交えていきます。

 冒頭で書いた前提によると、ラストは「色欲」というフィルターを通して人間を見下していたことになります。
が、それだと意味がわかりません。
卑下する人間を相手に欲情していたなんてことはもちろんありませんから。

 いまいちしっくり来ないので見方を変えます。
まず、「色欲」というフィルターを通して、というのを
「色欲」というフィルターを通して"しか"人間を見られないに変換します。
そうすると、少々理論が飛躍しますが、「愛情」を知っているから人間は「悲しい生き物」であるとは考えられないでしょうか。
「色欲」だけで相手との関係を割り切ればいいのに、「愛情」を求めるから余計な感情が生まれて弱くなる、つまり、ラストにとっては「愚かで悲しい生き物」に見えるということです。

 ハボックが欲望に打ち勝ったことと矛盾している気がしますが、
(「色欲」に身を委ねなかったから正しいとも言えるかもしれませんけど)
愛する妻の姿に変化したエンヴィーによって殺されたヒューズや

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(コミックス10巻・80ページ)

 マスタングの死を告げられ、涙を流すホークアイを見たラストはその思いを強めたでしょう。
事実、ここでラストはもう一度、人間を「悲しくて愚かな生き物」であると言っています。
が、前回と違うのは、今度は本当に悲しい表情をしていることです。

 ここが名前と矛盾する要素じゃないでしょうか。
「色欲」の象徴であるラストが「愛情」を知るホークアイ(人間)の気持ちを理解しているように見えます。
理解している、というよりは「愛情」を知っているホークアイにどこか憧れているのかなとも思います。
なぜそう思ったかというと

100821-4.jpg
(10巻・40ページ)

 ここでこう言ったラストは、「生みの親への愛情」を本当に理解できていたのか?ということが引っかかったからです。
「お父様」から受けた命令をホムンクルス達がただ遂行する。ただそれだけの関係で愛情があったかは疑問です。
コミックス26巻でエドとプライドのやり取り(「お父様」が満身創痍のプライドに声もかけなかったこと)を見た後だと、ここでラストが言った「生みの親への愛情」がより空虚なものに思えます。
(これは、「「お父様」も愛がわからないから息子たちに正常に接する事ができなかった」という話にもなりそうですが、それはまたの機会に書きたいです。たぶん。)

 もしラストが愛情を理解していたとしても、それは「色欲」の要素を持っていたからであって、他のホムンクルスは愛情がわかっていなかった=ラストだけが一方的にお父様を愛していた、と考えると哀しい話です。

 「愛情を理解したがっていたラスト」は単行本のラフスケッチでさらに強調されているように思えました。

100821-2.jpg
(コミックス10巻・10ページ)
「なんであいつはこんなまずいモノを吸うのかしら」

 「ソラリス」として付き合っていた相手・ハボックの煙草を吸う事で相手の気持ちを理解しようとしています。
一連の流れを追った後に見ると、この「何気なく試してみた」感じが素晴らしいなと。
しかも「ラストとして」ハボックの気持ちを理解しようとしているのがまた良いです。
「生みの親への愛」だけでなく、「異性への愛」も求めていたってことなのかな。妄想なんですけども。

 こうして見てみるとラストはホムンクルスの中でも人間味に溢れていたと言えます。
それで気づいたんですが

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(10巻・91ページ)

 彼女は笑って最期の瞬間を迎えています。
しかも、自身の死を「悪くない」ものであると言ったのは、自分の人生がそう悪くなかったと言ったグリードやラースと同じ。(一瞬でも)人間らしく生きられた/人間の感情を理解できたホムンクルスはやはり好きです。

 再考した結果、ラストは他のホムンクルスと同じ3つの共通点を持っていただけでなく、人間の感情を理解するところまで到達していたことがわかりました。
中盤で退場したとはいえ、他の敵と同じくらい完成したキャラクターであったことがわかって、自分の中での「鋼の錬金術師」の凄さがさらに高まりました。

 「ラスト編」としていますが、現時点では続きが書けていません。
完全版刊行にあわせてゆっくり書きたいなと思っていますので、長い目で見て頂けたらなと思います。

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