※2009年7月の更新を修正して再掲したものです
「お茶にごす。」最終回についてアレコレと
○まークンと夏帆
まークンの態度を見かねた夏帆は、文字通り背中を押して(+川に突き落として)「優しさ」の何たるかを説きました。
「自分に優しくできない奴は、人に優しくなんてできない」と。
思えば、部長から遠ざかった後のまークンは優しくなろうとして意地になっていたように見えます。
それに、108服では他人からの優しさを断ったり(「船橋さんの力になりたい!」って言ってくれる一般人がいる時点で相当な進歩なのですが、おそらく「優しくされている」ということに、まークンは気づいていない。)、「大丈夫だ。」と自分に言い聞かせて「他人に優しくすれば自分はどうなってもいい」という行動をしていた節もあります。(山田が「慈善事業」と言っていたことから、付き合いきれないレベルまで達していたんでしょうね。)
負の連鎖を生み出し、部長を危機にさらしたことのある自分が優しくされていいはずがない、という思いがあったであろうまークンは「自分に優しくしてもいい」なんてことは考えたこともなかったのでしょう。
しかし、夏帆の一言で霧が晴れます。自分に優しくしてもいいのだと。「優しい人」であろうとするならば、自分のしたいことをすればいいのだと。
そして、まークンが最も望んでいることは―
○夏帆の成長 夏帆は当初、まークンを部長に近づけさせまいとしていました。それが最終的には
「(部長の傍にいることを他の誰が許さなくても)私は許す。」とまで言ってくれたのは、夏帆の成長の証と見ていいんじゃないでしょうか。ノラとか言ってた頃が懐かしい…(しみじみ)
最後の最後に今までまークンに対して出せなかった本音(例:7巻64服の
「アタシはいいと思うよ」)が出せて、それが最大の効果を発揮したというのもいいですね。
(ついでに言うと、口が悪いのもやっと本音で話せたことを意味してるんじゃないかなーと。)
で、最後の最後でまークンにときめいたかも!?という描写があったのはニクい演出かなと。
(「ウウー」って言って照れてるのは今までの中でもかなり可愛い…!)
ただ、これを引きずらないで(?)チカ達との会話に移行してるので「照れた」だけなのかもしれませんし、だからってこの後好きになることはありえないでしょうけど「そういう可能性もあったかもね」ぐらいに捉えると面白いかもしれません。
最後までフラグを立てそこねたヤーマダに頑張ってほしいですが、どうなるやら。
○ヤーマダ
最後の最後でこの男は…
鼻からウドンといい、割とギャグ担当だったんじゃないかと思います。
(先週、ヒナちゃんが言った「ヤーマダさんってお軽いですよね」が物語における彼の立ち位置を物語っているんじゃないだろうか…)
が、まークンが部長にアタックしてどうなるか?というのを楽しそうに話す女の子達を見て何か思っている真面目な顔のコマがいいですね。(私は、まークンのことを心配してくれる人がたくさんいて嬉しい+きっと上手くいくから頑張れ。だと予想)
それと、まークンの脳内イメージのヤーマダがバカにした後に慰めてくれていたのもいいなと。
部長から身を引いた時に「グッド!」とか言い出した時は「アホかテメー!」と思いましたが、夏帆に後押しをさせる為には仕方なかったんですかね。卒業式でまークンをけしかけたり、最後には泣いてくれたりと心の底では応援していたのがわかったのでよかったです。
ただ、、夏帆との関係がうやむやだったのは…可哀想?残念?仕方ない?
どれがふさわしいかわかりませんが、(勝算はあると思うけど)連載においてはあんまり進展がなかったので、妄想に頼らざると得ないのが何とも…
○まークンの笑顔 最終回の一番の見所は実はここなんじゃないかと思っています。部長に会うために走るまークン。それを見つめる人々は―

同じように笑顔です。
と、ここで思い出したのが1服の冒頭。

まークンが歩いているだけで人々は恐怖しています。
ここの対比を西森先生は描きたかったのであり、このシーンこそがまークンが優しい人になれたということを証明してるんじゃないでしょうか。
西森先生は誰かがまークンに直接「君は優しい人だよ」と言うシーンを避けて、他の人がまークンを見てどういう表情をするかという(1服と最終服の対比で)視覚的に「まークンが優しい人になれた」という演出をしたのかなと思いました。
つまり、
あえて誰にも「優しい」と言わせることなく、まークンが自然と優しい人になれたということを描きたかったのかなということですね。
この最終回を読むと、「見ればわかる」この演出方法がベストだと思いました。
○まークンと部長 言葉も画像もいりませんね。部長の笑顔を見れただけで言うことないです…!
○ラストページ 初見では、最高の見開きをめくった瞬間にラストページが訪れて力が抜けました…
が、何度も読み返すうちに「あれでいいんだ」と思うようになりました。
さっき言ったように、まークンを見る通行人の目が穏やかだったことで「お茶にごす。」は終わっていいと思うんです。だから、その後に部長とまークンが何を話しただとか、どういう関係になったのかとか、そういうのはそれぞれの読者が考えていけばいいのかなと。
(私の予想では、山田のセリフも踏まえて、これから良い関係を築いていくんだと信じています。)
で、最終コマの掛け軸が気になってググって(ヤフって?)みたところ―
法雄山 常休禅寺さんの
2002年5月の今月のお題より引用
>「開径」は道を切り開くことであるが、「佳賓」待ちかねた良き客のために道を整える意である。
>すなわち、賓客を迎えるために細やかな心配りをすること
>又、心を開かなければ良きことが訪れぬということでもある。 西森先生はこういう所まで気を配っているから素晴らしい…!
「待ちかねた良き客」とは部長にとってのまークンなのかな。
(あのポーズは「待ってました」と言わんばかりだったので)
ただ、「心配りをすること」に着目して、まーくんを「良き客」=「優しい人」と捉えるなら、夏帆が心配りをして道を整えてくれる人なのかもしれません。
下については言うまでもないですね。
夏帆の一押しとまークンの心からの願いが、掛け軸にもなるような格言を体現していたというのはこの上ないラストになったんじゃないでしょうか。当然意識して描いてるでしょうから、西森先生の深さには頭が下がるばかりです。
○扉絵 なんでここを最後に持ってきたかというと、時系列で考えると一番最後だと思ったからです。
たぶんこれは最終回後日の話で、まークンが夏帆に「まぁ、部長とアンタは釣り合わないけどね」とか冗談半分で毒づかれて青白くなってるのかなと
ちなみに、タイトルの「雅矢と部長」を見た瞬間にガッツポーズしたのは言うまでもありません。
そんな感じで、1服の冒頭との対比がなされた時点で「お茶にごす。」で西森先生が描きたかったことは描かれていて、その後の部長とまークンがどうなったか?というのは、極端に言ってしまえばメインテーマじゃないので「ぼかして終了」というのもありかなと思いました。
(本筋は「優しい人になる」であって、部長とくっつけばゴールじゃないですしね。)
まぁ、こんなことが言えるのは最終回に部長が出てきてくれたからなんですけどね
でも、告白するところも見たかった!と言っている人たちの気持ちもわかります。
なので、100人が読んで全員が納得するラストではなかったというのは否定できないんですけど、こういう余韻たっぷりの終わり方もまたいいんじゃないでしょうか。
私の中では考えうる最高のラストで、「お茶にごす。」は大好きな作品であり続けるに違いありません。西森先生に素敵な作品ありがとうございました!と心から言いたいです。
対比画像見て改めて良いなぁと思ったよ